bechang’s blog

カウンセリング勉強中・精神療法受けてます

やりたいことが思い浮かばない理由

やりたいこと探しの呪縛

 

人生や日常の生活の中で、自分が本当にやりたことは何かと考える。でも具体的に思い浮かぶことはなく、とりあえずは今までの生活を続けるということになる。

仕事をして稼いだお金でたまにおいしいものを食べたり買い物をしたりしてなんとなく毎日を過ごしている。これは全く不幸なことではないし、生活ギリギリで生きているわけではないけれど、こんな生活をしばらく続けていると、自分の人生には楽しいことが全く無いように感じてくる。

 

仕事をしているとき、早く終わらないかなと思う。休憩中や昼休みにスマホで動画を見ていたりすると、仕事に戻るのが億劫になる。疲れているときは、早く退社して自由な時間が欲しいと思う。でも実際に仕事が終わって少しゆっくりすると、そこまでやりたいことなんか無いってことに気づく。むしろ自炊をしたり、掃除をしたり、洗濯をしたりと、やらなきゃいけないことがまた出てきて時間が過ぎていってしまう。別に無理してやらなくてもいいかもしれないけれど、後で困るのは自分だからとりあえず頑張ってやる。「やるのは大変だけれど、どうせお腹が空くし、きたない部屋で過ごすのは嫌だから、それなら今やろう」、そう自分に言い聞かせて行動に移す。

 

おそらくこういった思考回路を続けているから、自分が本当に何を好きか、何をやりたいと感じているかがわからなくなってしまったんだと思う。自分の「心」が素直に求めるものではなく、「頭」を使って、やるべきか、やったほうがいいか、やるメリットはあるのか、ということを先に考えてします。そうしないと、ただ寝て過ごすだけの人生になってします。

でもこれは仕事がある程度忙しい人だったら仕方のないことだと思う。週5・フルタイムで働いていると基本的に早起きだし、仕事が終わってから家事をするとなると平日はあまり時間がない。もちろん工夫をすればいくらでも時間を作ることはできるけど、それはすごい疲れる。例えば明確な趣味ややりたいことがあればそのために時間を割くことは苦痛じゃないけれど、そういうものがない人には、仕事の後は家事の時間を除くと暇になる。動画を見たり、お酒を飲んだりして時間を過ごすとあっという間に時間は過ぎて行ってしまう。

土日が休みの場合は寝だめをして、予定があれば出かけて、後はスーパーでまとめて買い物をしたり、映画を見たりなど、平日ではできないことをするとあっという間に時間が過ぎる。気分転換に出かけたりしても、かえって疲れてしまい、これだったら家で最初からゆっくりしている方がよかったなんて後悔する。一人が好きな人ならなおさらそう感じるはず。

 

こんな風に考えていると、仕事をしているうちは中々自分が好きなことを見つけるって難しい。好きなことは別に趣味でなくとも、生活の中でこれをやっていると楽しいな、幸せだなと思える感覚。これは、相当意識をしないとわからない。自分が好きなことは考えないとわからないってなんだか不思議だけれど、人間は自分が好きかどうかよりも、目の前の刺激や快楽の方に流れてしまいがち。だから本当にそれが自分がやりたことかを考える前に、簡単で面白い5分の動画や、テレビを観ながら酎ハイ、といったわかりやすいものを求めてしまう。別に悪いことではないけれど、それをして自分が幸せと感じていないのであれば意味がないのに。

 

いやいや働いているうちは、とりあえず仕事外の時間をゆっくり過ごしたいと思うのは当然。というか何もしたくないって思う。考えることは面倒臭いし、それだったらだらだら過ごした方がまだいいと思ってしまう。これを改善するには、今やっていることが「仕事からの逃避行動(ストレス発散)」なのか、「純粋に自分がやりたいこと」なのかを逐一考えないといけない。家事のように仕方なくやっていることを除いて、自分がどういう瞬間に生活の中で安らぎや幸せを感じるかを細かく観察しないといけない。

 

とはいうものの、しばらくは同じような生活が続く。自分がやりたいことなんて全く思いつかない。衝動にかられたり、刺激を求めるだけの感情が動く。そして今日も同じような時間を過ごす。

自分の人生の目標について考えてみる

何のために働いてる?

 

人生の目標

よく仕事で今後のキャリアプランを聞かれたりするけれど正直何も思い浮かばない。それこそ人生の目標なんてまったく想像がつかない。でも本来目標は自分の求めるものだったりゴールだったりするわけだから、そういうものが無いの何にも欲がないことになってしまう。

例えば、有名になりたいとか、お金を稼ぎたいとか、モテたいとかよく耳にする「目標」はあるけれど、どれも本当に自分が求めているかと自問自答するとそうでもない。人生の目標は別の言い方だと、「何のために」生きているのか、「何の目的で」頑張っているか、ということだと思う。

モテたいとはもちろん思うけれど(切実に)、実際にモテるって自分でコントロールできないことだし、それを人生最大の目標にして自分の生活を犠牲にしてまで頑張れるかと考えるとすぐ挫折する。だって、モテるを最優先にして仕事を選んだり、住む場所を選んだりするって自分の意志とは関係ないことをするわけだから単純に苦しい。お金も一緒。稼げば幸せになる気がするけれど、実際に広い家に住んで、お金に不自由しなくなったら日常生活で何をするんだろう。結局何のために生きているのかまた考え始める気がする。もちろんお金があるに越したことは無いのだけれど。

 

人生で大切にしていることって何だろう

自分が人生で大切にしていることは何だろうといろいろ考えていると、思い浮かぶのは、「嫌いな人と出来るだけ関わりたくない」「自分が無駄だと思うことは極力やりたくない」などのネガティブなことを避けたいという欲求。たとえモテてもお金があっても、自分の嫌なことが同じくらい人生に存在していたら、自分にとってそれは幸せとは言えない。

あとは「快楽的なことに依存しない」。自分がお酒やお菓子、テレビなど、頭で考えなくても簡単に一時的に楽しくなれるものに逃げがちだから。テレビは好きだけど、休みの日に8時間観ても幸せな気持ちにはなれない。休みの日にそんなことをしたらかえって惨めな気持ちになってしまう。

 

でもこうやって考えてみると、自分の生きる上での目標って楽しいものがあまりない。「こうありたい」とか「成し遂げたい」と思うものって全く頭の中にない。でもそういった人生の目標が明確になっていないのに、毎日の仕事や生活を頑張るのはとてもしんどいことだと最近感じ始めた。

 

お金以外なんのために働いている?

今はコールセンターで働いていて、苦情対応もあるから楽しい仕事ではないけれど、給料も悪くないし、残業もないし、有給も1時間単位で自由に取れる。一応チームで動いているけれど、基本的には個人での仕事だから自分のやり方・ペースで仕事を進められる。仕事内容は大変だけれど労働環境は良いから知らない間に4年も続けている。そんな風にしてやってきた仕事も、最近なんで働いているんだろうって思う。

それなりに貯金もしているし、今辞めたところで半年以上は働かずに生活できる(定期預金には手を付けずに)。遊んで暮らせるわけではないけれど、学生以来の夏休み気分は十分に味わえるはず。軽い気持ちでマネージャーに話してみたら、「そんなことしたら転職するときに不利になるからブランクは空けない方がいいよ」と真っ当なアドバイスをもらった(転職の話をしてるのに冷静な意見を言ってくれる良いマネージャーです)。確かにその通りかもしれないけれど、その不安を感じたと同時に、自分はこれから一生長期の休み(数か月)を得ることはないんだと愕然とした。いくら有給は自由に使えるといっても一年にたった15日程度。仕事を忘れて1か月くらい悠々自適に暮らしてみたいのに。

 

生きる目標って何だろう

そんなことを考えていると、ますます自分は「何のために」生きているのかちゃんと考えないといけないなと思った。だって目の前の生活に困窮しているわけではないのに、毎日働いてたまったストレスを稼いだお金で発散する(旅行とかお酒とか)、ってすべてが仕事中心の生活になっている。そもそも自分の人生の生活の一部として仕事をしているだけなのに、働くこと自体が人生の目的みたいになっている。趣味を生きがいにしている人も多いけれど、自分は土日に趣味をしても、月曜から働くことを考えると憂鬱な気分になっていまいち趣味を楽しめない。月曜から働くことを前提に休みの日は身体を休めて疲れることはしないようにと思ってしまう。週末に旅行なんてしたらいくら楽しくても月曜日は絶対後悔する。

 

仕事に給料以上の価値を求める?

こんな風に考えていると、結局仕事はお金を稼ぐ以上の意味合いを持っていないと辛い。仕事が生きがいである必要はないけれど、「やりがいのある仕事」という一見高望みに思えるものを手にしないと、仕事を頑張ることができない。というか、そのうち働くことをやめると思う。なんだか自分甘えてるなあ、なんて思っていたけれど、これは結構深刻な悩み。じゃあ具体的にどうやって仕事に給料以上の価値を求めたらいいかを具体的に考えないと。

 

づづく