bechang’s blog

カウンセリング勉強中・精神療法受けてます

共感的理解(産業カウンセラー記録)

産業カウンセラー養成講座実習 第6回目

前回から本格的にカウンセリングのライブ演習がスタートした。基本的にカウンセリングの演習を1日中ずっと行う。前回ではカウンセリングの技法について意識的に行った

・伝え返し

・要約

後は、クライアント役(CL)が気持ちよく話せるように、カジュアルな雰囲気で応対するよう心掛けた。本当は他にも色々試したいこともあったが、うまくやろうとせず基本的なことに集中できるようシンプルにした。結果「うまくいった」ように感じた。目立って良いところがなかったがミスがなく、CLがスムーズに話をしてくれたように思う。さらに気持ちの整理や気づきもあったようだった。次回は「感情の明確化」をして、CLの内省が促されるようにしたいと思った。

けど実際に自分がカウンセラー役(CO)になった時、あまりうまくいかなかった。CLは話をたくさんしてくれるのだけれど、全てが堂々巡りになってしまい進展しない。自分もどう応対していいかわからなかった。CLの感情に注目して深堀りしようかと思ったけれど、的外れな質問になってしまった気がした。

 

カウンセリングが終わり、指導者からのフィードバックの時に「共感的理解が弱かった」「反応が薄かった」と指摘をもらった。つまりCLが話している内容はとても「大変」な状況であったけれども、自分はそこに十分に反応していなかった。日常の会話であれば「それは大変ですね」「すごく辛いですよね」という言葉が出てきそうだけれど、自分はそれらを全く言わなかった。心の中ではそう思っていたけれど、勝手に相手に同調するのは安っぽい共感になると思ったから。より深い部分での共感をした方がいいと思い、陳腐な言葉を敢えて避けてしまった。結果、少し冷たい反応になってしまった。

 

自分の話し方の癖として気づいたのは、そのようなストレートでシンプルな感情(上司が怖くてストレス、介護が大変で疲れている)に対して十分な共感を示していない。客観的、分析的に深く見ようとするあまり、人として自然な反応が抜けてしまうことがあるようだ。もしもCLが気を遣う性格だと、こちらに共感は強要しないし、弱い自分を見せることは嫌うから話が展開しなくなる。

「それは大変ですね」「すごく辛いですよね」という言葉が適切ではない可能性もある。決めつけになるし、CLからしたら「こいつ雑に相槌してるな」と思われる危険性もある。それでも明確な反応を示さないと、CLは自分の話に興味を持たれていないと感じるかもしれない。その反応が適切でなければCLの表情からわかるはずだし、間違えたらその際は訂正すればいいだけの話なのだ。適格な反応をしなければいけないと思うがあまり、自然で人間的な反応が薄れてしまったのが今回の反省点であった。

 

かといって自然に話を聞いて日常会話のように反応しているだけだとカウンセリングにならない。通常の自分の感覚は残しつつ、カウンセリングとして成立させるために客観的な視点で技術も気にしなければいけないところが難しい。けれど、技術が共感的な理解より優先することはあり得ない。いつだって人対人として話を聞くことが大事だし、技術や技法はその後におまけで付いているようなものだと学んだ。

 

次回は「人間として」話を自然な状態で聴いて対話をしたい。